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ディープスカイとの別れ…そして新たな出会い

8月30日。札幌競馬場で貴重な体験をしてきました。昆貢調教師の厚意で、1時間後に引退式を控えたディープスカイに会わせてもらってきました。前日の夜、函館競馬場から到着したディープスカイは交流馬房にただ1頭で入っていました。厩舎へ着くと、手入れの真っ最中。ファンに雄姿を見てもらうため、堂本和裕助手はいつもより丁寧にたてがみをとかし、馬体をピカピカに磨き上げます。「触ってやってください」。昆調教師、堂本助手からそう声をかけられ、おでこをそっとなでるとじんわり伝わるぬくもり。毛づやがさえ、今にも走れそうな馬体からは引退という言葉が浮かんできません。「本当に具合が良かったんだよ。牧場からもう少し早く戻していたら、と思うよね」。放牧先から帰厩する直前に起きたアクシデント。悔やんでも悔やみきれない昆調教師の複雑な表情に胸が痛みました。
 昨年制した日本ダービーと同じ「1」の番号が刻まれた白いゼッケン。一見すれば当時のものと変わらないようですが、ただひとつ欠けているものが堂本助手の心に突き刺さりました。「実際に使うものと違って10Rっていうレースの番号が入ってないんです。それを見て『ああ、最後なんやな』って実感が沸いてきました」。厩舎を出発するまでの間、1分1秒を惜しむかのようにディープスカイとふれあう陣営。「濃い2年間やったな」。そう言ってポンと愛馬のおでこを叩いた堂本助手に鼻先をすり寄せたディープスカイ。人馬の深い絆がうらやましく思えました。
 堂本助手、上籠三男助手が2人で最後の馬装をし、厩舎を出発。地下道を通ってパドックへたどり着くと、出迎えてくれたのは5270人のファン。日が落ちて肌寒くなっても、その日の入場人員の半数近くが残ってくれ、パドックを飾ったディープスカイの横断幕に堂本助手は感謝していました。「ディープスカイのかわいいイラストが入ったもので、東京競馬場でも飾ってあったんですよね。きっと東京から見に来てくれたんですね」。四位洋文騎手が騎乗して芝コースへと移動。ウイナーズサークルやゴール前を取り囲んだファンが贈ってくれた拍手に、ディープスカイを引いていた堂本助手は涙を流しながら頭を下げていました。
引退式が終わり、いよいよ迫ってきた別れ。堂本助手は北海道日高町にあるけい養先のダーレー・ジャパンへと向かう愛馬に付き添うことになりました。その日の夜にダーレーへ着き、ディープスカイを馬房へ収めると「かわいがってもらえよ」と声をかけたそうです。「最後に見送れたことでモヤモヤしていた気持ちが少し晴れました。馬房も広いし、きっと大事にしてもらえると思う。夏、北海道に行ったらレンタカーを借りて会いに行ってきますよ」。堂本助手は1年後を夢見て目尻を下げました。
堂本助手の人生を変えたと言っても過言ではないディープスカイとの出会い。「この世界に入って、重賞のひとつでも取られればいいと思っていたんです。重賞に出るだけでも大変なのに、ダービーに出て勝っちゃうんですからね。ディープスカイを担当したことで、いろんな人と話す機会が増えたし、声もかけてもらえた」。あっという間に過ぎ去った、しかし、中身のぎゅっと詰まった2年間は何物にも代え難いものでしょう。今思えば、その出会いは偶然の紡いだ糸だったのかもしれません。「毎年夏場は北海道だったのに、2年前は事情があって栗東に残っていたんです。その時にディープスカイが入ってきて。北海道に行っていたら、違う人が担当していたと思うし、ボクがやることはなかった。そういえばね、ボクが初めて見たG1はナリタブライアンの勝ったダービー(94年)だったんです」
 ディープスカイが暮らした栗東の馬房には、今はディープデザイアという馬がいます。75代ダービー馬と同じアグネスタキオン産駒で、栗毛。そして、同じ深見敏男オーナー。厩舎のエースと入れ替わるようにして入ってきた2歳牝馬に縁を感じずにはいられません。「かわいいところはディープスカイに似てますよ。ディープスカイの方が人間が好きで人なつこかったですけどね」とあどけない表情の愛馬に優しいまなざしを向けた堂本助手。トレセンで、毎日のように繰り返される馬との別れ。ディープスカイの場合は志半ばだっただけに無念さが残りますが、別れの数だけ出会いもあります。ディープデザイアのデビュー、そして、産駒に夢の続きを託すディープスカイの父としてのデビューを楽しみに待ちたいと思います.